2021年6月4日金曜日

己を浮かべることができる者

 物を作るということは、癒しの一つです。

作務は悟りに至る一つの方法です。


コロナ禍は、病の恐怖ももちろんですが、行動を制限されたり会話が思うようにできなかったりと、知らないうちに心を圧迫していきます。

一度深呼吸して、落ち着いたら見えてくるものもたくさんございます。

私にはありがたいことに、弘法大師を始め目標とさせていただく僧侶の先輩や近隣の年長者がたくさん居てくれます。

「ああ、今の私と同じ歳にお大師さまは満濃池を構築されたのだなあ」とか「後2~3年で日本初の庶民の学校、綜芸種智院大学を造られた年齢か」
と、追いつけるわけもない偉大さを心の中心においた上で、身近な人々の生きざまを見習わさせていただいております。


夫を亡くされた方から教えて頂いたことがあります。

彼女は、夫が急な病で亡くなり、しばらく呆然とした日々を過ごしていました。

四十九日も過ぎて、夫の部屋も手つかずのまま放置されていましたが、机の上に作りかけの自動車のプラモデルがありました。

夫はプラモデルが趣味で、若いころから休みの日には部屋に籠ってプラモデルを作り、完成した模型をあちこちに飾っていました。
彼女に完成品を見せて嬉しそうに笑っていたそうですが、模型に興味の無かった彼女は、一瞥を送るのみだったそうです。

そんな夫が急にこの世を去り、机の上に少し埃をかぶったプラモデルが製作途中で残されていました。

「完成させてお仏壇に飾ってあげたら、あの人も喜ぶかもしれない」

そう思って、作ったこともなかったプラモデルを作り始めました。
道具はしっかりそろっているので、簡単に思って始めたのですが、

おかしい。

夫の作品たちと比べて、なんだか色も艶も鈍い。

これは、夫の最後の模型を台無しにしてしまう。
悟った彼女は、夫の通っていた模型店に足を運んで作り方を聞くことにしました。


模型店の店主は馴染みの客だった夫の死を知って驚き、悲しんでくれました。
そして、奥さんに言いました。


「あなたの夫は、一つのプラモデルを作り上げるのに、数か月を費やして作っていました。部品の一つ一つを丁寧に研ぎ、磨き、何度も何度も重ね塗りをして、素晴らしい模型を作り上げていました」

「彼の遺作を完成させるのなら、しっかり練習してからにされては?」


そこで、彼女は別のプラモデルを模型店の店主の指導を受けながら制作することになりました。研いで磨いて、塗ってまた磨く。手を動かしつづけ、半年かけて完成した模型を夫の作品の横に並べて、初めてその丁寧な仕事ぶりと繊細な心配りに涙が出てきたそうです。

台所の踏み台や、手作りの本棚。何も思うことなく使いやすく配置されたガレージの品々。
夫の丁寧さが、模型のみならず家のあちこちに遺されていたことに、気が付いて涙が止まらなかったそうです。

それから、数年たってようやく、彼女は夫の作りかけの遺作を完成させました。
小さなお仏壇の前に艶々のボディーの赤い車をお供えした彼女は

「住職さん磨くって凄いんですよ。無心になれるんです」と笑いました。

すっかり模型作りが趣味になった彼女は、新しいプラモを買ってきては、お仏壇にお供えしてから作っています。

夫が今でも元気ならば、この悟りにたどり着いていないのかもしれません。
また、急な別れでなければ違う感情が違う結果を生んだかもしれません。

寂しい別れではありましたが、気が付かれる事もなく、捨てられていたかもしれない夫の心が掬い(救い)あげられて良かったなと思うのです。

作るということで繋がって、作るということから悟りを得ることを教えてもらいました。



先輩の僧侶にも凄い人がいます。

彼はもともと一般の家庭に生まれ、縁があって僧侶になり大きなお寺の役僧として数十年勤めています。数年前から原因不明の身体痛と体の末節の腫れに七転八倒して、病院の扉を叩いたが原因がわからない。

リウマチか自己免疫異常かのような症状だったので、それに合わせた投薬を受けていたが、一向に改善しない。もうこれ以上仕事を続けるのは無理だと思った彼は、長年勤めた寺を辞めて長崎に戻ることにしました。

服一枚着るのにも痛みに耐え、脂汗を流しながらという状態で帰った地元長崎の病院の出した病名は、


「原爆症」

被ばく者であった父からか、残留放射能によるものか定かではないけれど、70年前長崎に投下された原子爆弾の影響が体を蝕んでいたのでした。

原因が判明してから薬餌の効果もあって症状も少し治まり、勤めていたお寺に復職されました。

もともと、芸術家肌で身の回りの物をなんでも自作する人だったのですが、病気が出てから数本の指が変形し、しびれて動きません。
しかし、不自由な手足を全く意に介さず、お寺にお参りする人が少しでも便利なように、解りやすいように、常に考えて様々な物を職人顔負けの技量で作り続けておられます。

コロナ禍になる少し前、数年ぶりに出会ったのですが、病をものともせぬ明るい姿に励まされ、眼病に落ち込んでいた私の心をいつも引っ張り上げてくれています。


昨年から一念発起して様々な作った事のないものに挑戦して作ることができましたが、その先輩の生きざまのお陰です。

今年の緊急事態宣言中、田舎のお寺も影響ないはずもなし、いつもより空いた時間が多くて
落ち着かないので、頑張って作りました。

「立ち焼香台」

本堂の修理で出た欅の廃材に枠と足を付けて色を塗り、紋を入れて…







定規の目盛りを見間違えたり、まっすぐだと思っても片目だと驚くほど歪んだりしますが、先輩の腫れて歪んだ指と違って、俺の「手」は正常に動くじゃないか!目に頼らず、定規をしっかり当てて線を引き、板を当てつつ切っていけば、後は根気の問題。

やれば何でもできるもんだなあ。

沈めるのも己、浮かべるのも己。落ち着いて周りを見回せば、自縄自縛から解き放ってくれるものに包まれている。    

未だ具縛を解せざれば出離し難し。
己に法性を覚れば、恒(つね)に無為なり。
                                            弘法大師 瑜祇経行法記より


2021年4月17日土曜日

令和3年4月17日 行者堂 山開きのようす



行者堂の山頂まで日参を始めて、後一か月で丸一年になります。

コロナ禍に不安を感じている方の気休めにでもなればと、先人を見習って始めた日参ですが、たくさんの人がお参りしてくださるようになりました。

11月の末からクマ対策と、雪の中の縁日は危険なので、冬の間は住職のみお参りしますと、案内していました。

田舎はまだ肌寒い日も多いのですが、だんだんと良い季節になってきました。毎年より10日ほど早く庭の八重の枝垂桜が花を散らし始めています。

鍋山山頂もたくさんの人のお陰で、冬の間に整備が行われて本当に良い空間になってきました。昨年から、グリーン興産の皆様、会長様、橋本商店の皆様、小池栄緑園様、観音寺参与会の皆様、なべやま会の皆様、いつもお参りの皆様。
たくさんの思いや力が集まって、鍋山の山頂が、どんどんと憩いの空間へと生まれ変わってきました。

下の写真は7年前の鍋山山頂。
観音塾の当時3年生の子供たちを連れて登った時です。
うっそうとした山中は、昼間でも薄暗く、じめじめと湿った場所でした。

子供が並んで写っている場所が、お堂前です。現在は、遠く一宮南中まで見通せるようになっています。


お堂も、扉が新調され、外観も綺麗に洗い流したので雰囲気が良くなりました。



さて、本日は朝から結構な勢いで雨が降っていました。天気予報通りだったので、仕方ありません。行(ぎょう)ですから。

せっかくの山開きだけど、こりゃ登ってくれる人少ないだろうなあ。と思っていたところ、いつもお世話になっている赤穂市の光明寺さんが、「山開きするなら登らせてもらう」と突然のご連絡。
嬉しいけど雨の中申し訳ない。

少ないだろうけど、二人でお勤めできるのは、有難いなあと雨の様子を見ていると、段々人が集まってくれました。

13時に出発時点で10名!観音寺から雨の降る中参加してくれました。
結構な降りようの中出発。


雨で滑る登山道を登ってくと、なんと山頂にたくさんの人影が!

裏側の登山道は10分程度で登ることができるので、裏から20名のお参りがありました。
中には御歳88才の方まで!

山頂は先日立てた南無神変大菩薩の旗が、所せましと旗めいています。

そしていよいよ、山開きのお勤め。


縦になったり横になったり視にくい動画ですが、妻が撮影してくれたので、雰囲気だけでもお楽しみください。
光明寺住職の法螺が私の法螺と違って綺麗に響いてカッコいい。

厳かに執り行うことができました。

途中結構な降り方だったので、皆びしょぬれになってしまいましたが、甘酒のお接待や柏餅のお接待をしてくれた方があり、本当にありがたかったです。

段どりも募集もなかったのに、心の持ちよりで良い山開きとなりました。


お勤めの後、行者堂ですので、修と験についてお話しました。

この山の風景が変わったこと、たくさんの人が力を持ち寄ったことを「修して」欲しい。
私には無理やわとか、お金がないから無理やとか思うのではなく、この風景を見て修したことを自分のできることで、実行していけば(験)、ドンドンと良くなっていく。

何人登るか住職ですらわからないのに、甘酒やお茶お菓子を購入して持って上がってくれた人や、山やお堂の整備をしてくれた人の姿から、学び修した人が、次はそれを実行して表す(験す)

それぞれの役割がしっかりと回転してくれれば、修験道を開いてくださった、(えんのぎょうじゃ)こと神変大菩薩もお喜びのことでしょう。

ああ有難い有難い。一心祈願コロナ退散。

南無神変大菩薩。
南無愛宕地蔵菩薩。
南無馬頭観音菩薩。











 

2021年4月12日月曜日

家族の時間を計算してみる

家族の時間は有限です。
祖父・祖母も、父・母も、配偶者も、子供たちも。



空間を共有している時間ではない。
会話の時間を使って有限の時間を計算してみるとどうだろう。

だれかエクセルのマクロみたいな感じでアプリ化してくれないかな。


私の場合を計算してみよう。

毎日の会話。
どれくらいしているか?会話しない日もあるだろうから1年は300日で計算。
家に居る仕事なので5歳まではベッタリ。

(60分×2)×300日×4年=100日

幼稚園に入り小学校高学年までくらいは少し減るが、まだまだ。

60分×300日×5年=62.5日

小学校高学年から中学卒業まで。

10分×300×6年=12.6日      いきなり減る。

高校入学から卒業。3分話してない日もあるけどトータル的に。

3分×300×3年で1.9日

ここからガクンと減る。
大学生になるとどれくらい帰ってくるだろう?ゴールデンウィーク、盆、正月。

「ただいま!」「お帰り!」「どうや?ボチボチやってるか?」「うん。まあまあ」
「友達と遊んでくるわ!」「行ってらっしゃい!気をつけてな」

30秒で会話終了×10回×4年  18分21秒

父親との会話など、そんなもんでしょう。

大体ここまでで基本の時間は終わり。

100日+63日+13日+2日+18分
大学卒業まで22年あっても実質は178日と18分。
むしろ100日以上関われた環境を喜ぶべきだと思う。

社会人になると、さらに減り10年単位で変化しないだろう。

30秒×5回×10年。25分

もちろん会話量は就職前、結婚や出産などで変動するだろうが、ボーナス的にn時間をプラス。
しかし、ここまでくると誤差の範囲に思える。会話の多い家庭でも、大学生以降で日々、何時間も話す家庭は少ない。

親の健康状態で変わるが、大学卒業後10~30年生きていたとして、

30年すべて合わせても1時間5分+n時間

おじいちゃんやおばあちゃんなら、もっともっと少ない。

計算すると、生涯で話をする時間なんて50年関われたとしても、

178日と数時間

大学卒業後は、もう少しは会話するでしょうけど、大きく変わったりはしない。

20歳以上の若い方。
一度ざっくり計算してみることをお勧めします。
年に帰る回数×会話の頻度×時間×年で、祖父、祖母、父、母とどれくらい実質関われるかが可視化できます。もちろん只の目安ですが。

可視化すると、怖さを感じます。
積極的に話さなければ、たった。たったそれだけの時間なのです。



この春、長女が高校を卒業し晴れて大学生となりました。
目的をもって進学してくれたので、それに向かって頑張ってくれるだろう。
でも、やはり今までそこに居た姿がいなくなるのは、寂しいものがある。

「学校行ったら、そのまま(その職業の)募集のかかっている地域に住むから、もう家には帰ってこないよ」

としっかりした発言も喜ぶべきことなのでしょう。

子供に関われる期間は、本当に少ない。
家族と会話できる時間は、本当に少ない。


私のように常に家に居る親でも、実質何かを教えることや伝えることができたかと言えば、何も伝えることができていない。

何を好んでか20年前の初期型ジョルノを安く買って、妹と一緒に塗りなおしている姿を見ながら、教えたこともないけれど、日本中バイクで走り回っていたアホな大学時代の自分の姿と重ねて、変なとこが似るもんやなと思った春の日に、嫁に出すような気持ちになりました。

お大師さまの言葉

人の相知る 必ずも対面して久しく語るにあらず
                                                          瑩玄珠碑より

出会って話す事が全てでなく、様々なことが種のように波のように陰のように作用していく。長く話をすることがなくとも、心通じることも有る。

私の心のどこかが娘の心のどこかで花咲いてくれれば。












2021年3月23日火曜日

育てる。食べる。生きる。

23歳で始めて25年以上続いている観音塾も、数年前の染河内小学校の統廃合で子供が激減してしまいました。一度も募集をかけたことありませんが、子供たちで誘い合って最盛期は週5日学年ごとに50人以上、小学校のほとんどの子が通ってくれていました。
集団下校の地区別の列に「観音寺」を作ってもらっていたほどでした。
特別なことは何もできていません。学校帰りに宿題をして、おやつを食べて遊ぶだけ。


檀家以外の子供さんも来ているので、わざわざに仏教を教えたりすることもなく、村の中で川に入ったり山に登ったり神社の掃除をしたりとする中で、子供の成長を見させていただいてきました。
子供ながらに悩んだり乗り越えたりする姿に、こちらも多くを学ばせて頂いてきました。

大きくなって村から巣立っていった子供が、たまに帰ってきては子供を見せてくれたり、名付けを頼まれたりするのも嬉しい限り。


現在小学生8名になってしまった観音塾で、ひさびさに村の小池牧場さんに見学に行きました。

小池牧場は、村の最奥の山中にあります。
乳牛の飼育が主でしたが、最近は和牛の飼育にも力を入れておられます。
家族で24時間365日、暑い日も寒い日も私たちの暮らしの中心である「食」を支えてくださっています。

社会が発達して、食べることと「生死」が切り離されてしまったので、誰もが生き物の犠牲を自覚せず生活できてしまいます。




「牧場に行きたい!」
と一人が言い出して大合唱。宿題早く終わったら行こうか、と言ったものの。前回小池牧場にお邪魔してから数年行ってないのには、理由がありました。
最近、どこもかしこも清潔になって子供たちが、強い匂いに慣れていないのか、人の気持ちをおもんばかる訓練をしていないからか、前回お邪魔した時平気で「くさい!」
と大きな声で言いまくった子がたくさん居たのです。

今回は、行く前にちゃんと全員に注意をすることにしました。

「今日は、小池牧場に行かせてもらうけれど、絶対にくさい!って言わない事。牛がいるってことは、糞尿の匂いがするのは当たり前のこと。誰かが自分の家に遊びに来てクサいなあ、クサいなあって大声で言われたらどう思う?嬉しくないやろ?
一生懸命働いている牧場の人たちに失礼なことをしないように。
匂いなんて5分もしないうちに慣れて感じないようになる。人間の体は匂いにすぐに慣れるようにできているから、車を降りて直後は匂いを感じても、すぐに慣れて感じなくなる。だから、匂いの事なんて口にしない事!お互い嬉しく見学させてもらおうな」

春雨の降る中、牧場に到着。
手土産におやつの詰め合わせをもって牧場内を見せてもらいました。


おお?ちゃんと子供たち何も言わずに見学してる!
「大声ではしゃいだら、牛が驚いてお乳の出が悪くなったりするから、気を付けてな」



昔は、小池牧場の周辺でワラビ獲りをするのが、子供会の春の恒例行事でした。小学3年生から6年生まで行列を作って、舗装路もあったのに何故か妙見淵の横から山道に入って牧場まで。先頭を行く6年生のお兄さんたちから、
「はぐれるなよ!牧場で飼っている猟犬に襲われるぞ!」
などと言われながら、草むらを歩くのが怖かったのを覚えています。
子供だけでワラビ獲りをして、それを村の家に売りに行ってクリスマス会のおやつ代なんかに充てていました。大人がいた覚えが無いのですが、今では考えられないことです。

「五年生は道をちゃんと覚えろよ、来年皆を連れてくるんだから!」
子供の中でも責任があり、役割があり、今思えば大切な行事だったと思うのですが、知らないうちに無くなっています。


数年前まで乳牛ばかりだったのですが、近年は黒毛和牛の飼育にも力を入れておられます。
和牛は弱くて、よく病気になってしまうらしく、飼育も大変なんだそうです。

「この子黒毛和牛やって!かわいいやろ」
と言うと、「え?黒毛和牛ってお肉の?」「食べられてしまうん。この子」

前は乳牛ばかりだったので、こういう直接的な質問が無かったけど、仕方がない。

「そうやなあ。食べるってそういうことやからなあ。可愛いとか可哀そうとか、生きているところ見たら思うやろ。最近野菜ばっかり食べる人が、お肉食べる人を攻撃したりするけど、みんな一緒や。野菜も肉も魚も、卵も牛乳も、みーんな生き物のお世話にならなんだら生きていかれへん。パックの肉も切り身の魚も、本当は同じ可愛そうな命をもらって毎日生きてるんやなあ。だから大事に生きていかなあかん」



そんな話をしながら見る、生れたばかりの子牛たちの黒いつぶらな瞳は、解っていてもキュッと胸が締め付けらるようです。

「育ててくれたり、釣ってくれたり、植えてくれたりした食べ物で、みんなの体が出来ている。今の人類には命のお世話にならん生活は不可能や。だから、肉を食べる人が悪いんじゃないし、野菜だけ食べる人が偉いんでもない。ただ作ってくれている人や、生き物たちに感謝できない人にだけは成ったらあかん!


ちょうど出産予定を過ぎたお腹の大きな牛がいて、牧場の方も忙しそうだったので、長時間にならないうちに御暇することにしました。

帰りになんと乳清のお土産までいただきました。小池牧場の皆様本当にありがとうございました!みんなで美味しく飲ませてもらいました。

帰ってから、
「おじゅっちゃん(寺子屋の子供が呼ぶ私の愛称?住職→おじゅっさん→おじゅっちゃん)
が言った通り、すぐに臭くなくなった!慣れたら藁の良い匂いと湿った土の匂いだった!」

一人の子供が話していたのを聞いて一安心。
そうそう、クサいって決めつけてたら細かい匂いに気が付けない。色んな匂いが混ざり混ざって世界を作っている、

曼荼羅。曼荼羅。



2021年2月28日日曜日

若者頑張る!日本酒まつり実行委員会

     
現在わが村は、日本酒発祥の地として絶賛売り出し中です。
播磨國風土記の記述を元に。発酵と酒造の原点として宍粟市のみならず播磨周辺の酒蔵を巻き込んでアピールをしています。

 先週いつも通りに鍋山山頂のお堂にお参りすると、山頂に人影がありました。
5人の若者たちが、整備された山頂の様子を見に来てくれていたのです。
地元でイベントを行ったり、地域活性化に取り組んでくれている「日本酒まつり実行委員会」のメンバーさんたちでした。

メンバーの活動は多岐にわたっており、youtubeを使った広報活動や


日本酒マン てーべー
https://www.youtube.com/channel/UCk7IjY7DlxBeuHGHtKMMP8w

古民家再生プロジェクトなど頑張ってくれています。

私も10年以上前から、過疎化対策の「村の骨組み」として法事の会話やブログ記事で日本酒発祥を紹介し続けて、庭田神社のホームページ作成なども手掛けてきましたが、実際の活動を担ってくれている若者が表れてくれて、自分の活動にも意味あったようで嬉しい。

山頂に置いている参拝者ノートに願い事を書いてもらったところ、「地域が活性化しますように!」と力強い言葉。嬉しいなあ!
残念ながら、コロナ禍の中令和3年の「日本酒まつり」も開催未定となっていますが、既に1000人規模のイベントをいくつもこなしている、代表の長野君が熱くこれからの展望を語ってくれました。

これからの子供たちに、田舎の環境の中で色んな遊びや楽しみを教えたい!
若者が楽しく集まって笑い合える場を作りたい!
久しく聞いたことの無かった村の未来を語る数々の言葉に涙が出る思いでした。


嬉しくって、鍋山の歴史や村の歴史を少しだけ話をした後、山の中腹にある「春告げ岩」と「行者の座禅岩」まで案内しました。
突然の申し出なのに、しっかり付き合ってくれたメンバーに感謝します!




価値観の多様化や健康志向、リモートワークの普及でコロナ後の「住みやすい田舎」の需要は必ず上昇します。
楽しく暮らすのは、どこでもできる!



日本全国津々浦々、不便な地域にも人が拡がって生業を立ててきました。おかげで多様な文化や食が保存されてきたのです。
効率化は多様化と真逆ですが、行政は明らかに効率と利益優先で、地域を切り捨てようとしています。

行政に携わる方も移民以外に道がないような事しか言わなかったりしますが、もうすでに世界的に賃金が低水準になった日本は、海外の働き手にお願いする立場になっていますし、肉体労働、単純労働の担い手として外国人を入れても、奴隷ではありませんので、その労働に縛り付けることはできません。

労働意欲、上昇意欲の高い外国人労働者は、あっと言う間に他の業種に広がり中産階級を脅かすのは、移民政策をした殆どの国が経験していることです。

外部からの流入に頼らず、地元の若者が田舎を楽しみ、子供たちを楽しく育てていく環境を整えていくことこそ、日本が日本として生き残る唯一の道です。

グローバル社会のもろさは、ここ数年の世界情勢やコロナの感染爆発を見ても明らかで、トランプ元大統領も移民政策の難しさと、日本に安易な門戸を開くことへの警鐘を鳴らしていました。

失敗だった!と明らかな状態に陥った後でないと方向を変えることができないのは、原発政策や太陽光パネルの惨状と同じで、これからどんどん移民は増えていくのでしょう。
その先にどんな日本があるのか甚だ疑問を感じます。

どこに住んでも、善き仲間と協力したり喜びあえれば良い。
飽くなき欲望の沼で、人と比べ続けて、劣等感を満足させ続けるためだけに生きているような生活より、よほど楽しい。

前にも  「地獄と極楽その違いとは?」https://webkannonji.blogspot.com/2020/02/web55211.html
と言うエントリーに書きましたが、自分の欲望を追いかけ続けるのは、結局幸せを遠ざけていきます。遠回りに見えても、みんながお互いにお互いの喜びを考えて求めあっていくことが只一つの近道なのです。

自利(自らを利する心)利他(他人を利する心)が一致すれば、みんなの喜びは自分のものになり、自分の喜びがみんなの物になる。

損得抜きで頑張っている若者たちの姿と元気な言葉に勇気をもらえた一日でした。







2021年2月8日月曜日

ちゃんと伝わってる? ホントに?






近頃コロナの影響で法事や会食の機会もぐんと減り、誰かと話をしっかり交わすことが難しくなってきています。

田舎のご法事は、家でお勤め (1時間) → お墓  (30分) → お寺   (30分) → 会食  (2時間) で移動など含めると最低5時間という大変長いもので、都会のお寺さんと話をしていると、「そんな長時間を一軒に割くのは無理だ」と言う風に言われていました。
逆に田舎のお寺からすると、「じゃあ、いつ話をするの?」と言う疑問がありました。


私はお酒を嗜みませんが、何げない日常会話でも悩みや弱みを話してくれる女性と違い、男性は少しお酒が入ってからでないと、身の上を話さない方が多いように思いますし、人柄を知ろうとする上で会食を大事に思ってきました。


若くで住職になったのもあってか、年配の方から法事の会食中、常に忌憚のない意見を頂いてきました。
「こんな風にしたら」「これはアカン」「こんなお参りを企画して」「もっとしっかり説明したら」

法事の時に法話することにしたのも、近所の兄貴と慕っていた恩人から「下手でも何でも、とにかく法話をした方が良い」とアドバイス頂いたからです。その後、その方と法事で会うたび「75点」「40点」と採点してもらっておりました。

早住職となって25年以上が経ち、採点してくれていた恩人も既に亡く、法事後の会話もない今、自分の話がちゃんと伝わっているのか確認しにくくなったのを とても残念に思います。

というのも、
先日夢前七福神のお手伝いをしている時、お参りの方に落書きの仏画を差し上げたところ「疫病退散って何ですか?」と言われました。勝手にコロナってわかる前提で書いていたのですが、疫病と言う言葉がすでに通じていないのでした。
最初その人の知識が足りていないのか?と思いましたが、その後も結構な御年の方ですが疫病=流行り病ではなく、疫病=ガンなどの大病、もしくは疫病神(やくびょうがみ)と考えた人がいました。




他にも、
自坊で女子高校生の3人組に、夫婦支え合って立派な人生を送った村人のお話をしていたところ、ずっと真剣に聞いてくれていた3人が、最後の最後で顔を見合わせキョトンとしたので、後で理由を聞いてみると、

「どうして最後離婚されたんですか?」

今度はこちらがキョトンとしました。

「~かれこれあって、最後おじいさんは、ありがとうって言って旅立ってしもたんや

この旅立ってしまったを「離婚をして出ていった」と理解していたのでした。
質問した子だけかと思ったら、全員がそう考えていました。
恐ろしく思ったのは、成績が悪いわけでない普通の高校生ですら、理解に齟齬が生じていること。
文脈で判るだろうとか、慣用句として知らない方がおかしいなんて批判は当たりません。

使わない、聞かない言葉は、通じないのです。


先日のエントリーで、通じない言葉を得意げに話すことについて批判しましたが、仏教語もおなじです。これまでの僧侶が話をしてきたから、国語教育の中、家庭の中で親から子へ伝えてきた時代があったから、ギリッギリ 今まで残っている言葉があるだけなのです。

毎週お寺に来てる観音寺の寺子屋の子供でも、お盆の意味なんて知りませんし、彼岸なんて若い両親から「言葉すら」聞いたことない子がほとんどです。

戦後の高度成長で社会が安定してから、僧侶も努力せずに喰えるような時代が長すぎました。口伝えで親から子へ伝わっていた、社会規範のベースたる死生観や倫理観。

核家族化が進み始めた時点で「教えずとも伝わる」なんて詭弁が通用した時代は終わっていたのに。


取り組む姿勢や畏怖、清潔感などは伝わっても、
「教えそのもの」は、伝えてきた者が居なくなって伝わるわけがない。

ここからは、縁あってこのページを読む機会を持った若い僧侶に向けて書かせてもらおうと思います。言葉尻を捕えて何様や偉そうに!とか思う方は今すぐページを閉じてください。

今コロナのせいで、本当にたくさんの人が不安を抱えています。
仏教は、苦しみを他人や神のせいにせず現実を捉えて生きていく「道」です。
今こそしっかりと言葉を届ける時です。


1,言葉を発して!

とにかく、来てくれている人、法事をされる人、お葬式の家族、親戚の子、いろいろチャンネルを開いて、様々な人と話をしてください。

たまに若い僧侶が、葬式仏教と言うような言葉に落ち込むこともあるようですが、真面目に僧侶の道を歩いている人こそ、いくら葬式仏教だと言われようが、しっかり考えられてきた、悲しみを越えるシステムを卑下することなく正しく丁寧に行ってください

特に枕経から49日を大事に一つ一つ行い、そのたびに関わる人たちとキチンと言葉を交わす。自分の話が通じているか、理解されているか、必要ならば図や本を引用して印刷して渡す。ぶっつけの話が苦手なら、台本を作って読み上げたって良いのです。
格好つけず実践する姿は、必ず解る人には解ってもらえます。

2,自分から近づいてくれる人だけを相手にしない

自分からお寺に来て話しかけてくれる人は、もちろん大事ですが、好意的な相手ばかりを選んで会話していると、現実との乖離を深めてしまったり、自己陶酔感を肥大させてしまうこともあります。
「これぐらい解ってくれただろう」「常識だ」「ニコニコ聞いてくれたから大丈夫」等
相手の体験レベルや理解度は、簡単に測れるものではありません。
ニコニコうなずきながら聞いてくれたと思ったお年寄りは、耳が遠くて全く通じていなかったりします。

3,難しい専門用語を優しく説く

すでに述べたように、ギリギリで仏教用語が崖にぶら下がっているような状態で、説明なしで四恩十善とか、色即是空とか、相互礼拝とか言葉だけ聞いても通じません。
合わせてわかりやすい例えをいれたり、実例を入れて難しい言葉を開いてください。
往生とか、報恩謝徳とか49日とか成仏とか、いつも話している言葉ですら、解っている前提で話さない。


例えば、近隣の大学生に、この言葉を読み聞かせたところ、
理解度は40%くらいでした。


弘法大師空海こと佐伯真魚さまは、讃岐の國に生まれ奈良の都で勉強されたのち仏道に目覚め、吉野や室戸で修業されたのち唐の都へ渡り、そこで恵果和尚より真言密教を賜り、日本に持ち帰られました。そして高野山を開き修行道場とされました。62才の時高野山の奥の院にてご入定なされたのでした。


こうぼうだいし  くうかい  こと  さえきまおさま」え?何?名前なの?、情報が多すぎて名前が入ってこなかった。「こうぼうだいし」っていうのは何か聞いたことがある。空海は歴史で習った。讃岐?→うどん→香川かな。奈良で勉強して仏教に目覚めてどっかで修行したんだな。「とうのみやこ?」「けいかかしょう?」「しんごんみっきょう?」何か判らない物をもらって、どこかから日本に帰ってきたのかな。それから高野山を始めて、そこに修行の場所をおいた。62才の時そこが完成して「お堂に入ることができた」っていうお話ですね。

他の子に和尚を恰好つけて「かしょう」と読まず、「おしょう」と読むと理解度は少し上がりましたが、やはり、最初の「弘法大師空海こと佐伯真魚さま」で弘法大師を崇拝する真魚さんっていう人の話かな?と思ったり、入定を門やお堂の中に入る入場だと考えていました。

下地の無い人に話をするときは、ひらがなで書いて読んでみるのも大事です。
耳から聞いた言葉は、全く馴染みがないと漢字に変換できないのです。



4,本で読んだ知識だけで話さない

住職になったばかりのころ、自信の無さもあって本に頼ることも屡々ありました。
本だけの知識は机上の空論感がでやすく、実際の苦しみの中で生きている人には届きにくい上に、辛抱、我慢で生きてきた人は、下手な本より悟りに近い方もたくさんおられます。
経験は、いきなり増えてくれませんから、一般の方の悲しみや苦しみを越えた経験をどんどん聞いて、自分の中で生かしていく。本の知識に命をつけていくことが重要です。


5、完成するまで話してはいけないという勘違い

若い僧侶に、「頑張って法話をした方が良いよ」と言っても、
「私なんか、何も言えません」「まだまだ、勉強中なので」「知らないことを教えられません」と返してきます。
20代でこういう事言ってた人が、30代40代になっても同じことを言い続けている姿をたくさん見てきました。いつ言うのか!

自分の知識が完成するまで言えないって...。
若さにカバーしてもらいながら、20代なら20代の、30代なら30代の悟りを伝えていったら良いんです。もしも間違えていたら訂正するだけのことです。

仏道を歩むことで、常に変化することができ、歩み遅くとも完成に近づいていく意思を示していけば良いだけのことです。





ここまで、偉そうなことを書いてきましたが、すべて経験上の話です。
知ってた人は良いのです。僧侶同士の会話も取れない中で若い僧侶が何かを感じてくれれば。

お釈迦さまが仏教を説いて2500年。まだまだ残っているとも言えるし、もうギリギリとも言えます。

ネットを使おうが印刷物を使おうが、言葉を使おうが、映像を使おうが、伝える努力を怠たらず、とにかく何を使っても良い。発信をしてください。これからの仏教は、発信のできる若い僧侶にかかっています。

2021年1月31日日曜日

嘘をついた方が得だと広めることの愚

 日本の言葉には、音から伝わる意味と、漢字の意味の両方があります。
きれいなかわ、とだけ聞くと川か皮か判りませんが、漢字が入ることで判別がつきます。

最近は、ソリューションとかアジェンダとか、カタカナ語を多用する人がいますが、私には賢く見えません。テレビでも日常でも全く推察できないカタカナ言葉を得意げに話している姿は、小さい子供が覚えたての言葉を繰り返しているかのようです。

本当に賢い人は、言葉に責任をもち、たくさんの人に自分の理解を分け与えることのできる人です。



明治期に日本は、突然にあふれかえるばかりの海外の学問や概念が流れ込みました。福沢諭吉など明治期の賢人は、それまで日本になかった概念を懸命に翻訳し、たくさんの人々に届くように漢字をあてはめ、新しい言葉を作ってくれました。

漢字は、一文字にたくさんの意味がこめられるので、長い概念も短く表記できるし、その概念を知らない人でも、漢字から推測して意味を考えることができます。



私は、明治期に作り出された情報という言葉の作者が誰だったのか存じませんが、凄い言葉だと思います。

状態を報(しら)せるで状報となってもおかしく無いのに、情を報(しら)せるで情報
情は「ありさま」「うつろうもの」「きもち」

現代の世は情報の海の如し。
子供から大人まで、スマートフォンで莫大な情報につながり、過去の文献を丸暗記しなくても取り出すことができる。他人の持つ有益、無益の情報をお願いしなくても分けてもらえる。

しかし、情報は字の如く情の報(しら)せ。
発信者の意図が潜んでいます。
youtubeにしろ、オンラインサロンにしろ、tik tokにしろ、ブログからsns.
テレビ、新聞、書籍に至るまで、目に耳に入ってくる報せには、情が隠れている。
利益誘導のためか、博愛のためか、自己肯定感のためか...etc

トランプ大統領を支持する人は、トランプ不支持の情報を信じず。
マルチ商法やカルト宗教に属する人は、非信者の言葉が届かず。
コロナを怖がる人は、さらに怖がる情報を集め、怖がらない人は、正当化の材料を探す。



感情で報(しら)せを選んで受け取ってばかりいると、知らず知らず誰かの感情にコントロールされてしまうことがある。




若き日に、あるマルチ商法を誘ってきた知り合いがいた。
彼は、マルチ商法のあくどさを「十分理解したうえで」私を勧誘してきた。
嘘と真実を散りばめた資料を巧みに使い、情報を駆使して勧誘していた。

何より彼は、勧誘の言葉に踊らされる人間は儲からず「仕組みを理解して人を踏みつけることができる人間だけが」儲かることを知っていた。
私がその点を指摘したとき「やっぱり君には判った?」と笑った時の彼の顔を忘れない。
もちろん断ったが、私をパートナーとして誘っていたのだ。

彼はもしかすると今も、夢を語らせて、欲を語らせて、反対する者が出てくることも織り込み済みで、彼の嘘で踊ってくれる純粋な人を勧誘し使い捨てているのかもしれない。




先日、元2ちゃんねる管理人の西村ひろゆき氏の発言がネットニュースになっていた。


「2021年は、何か嘘をついた方が得だって言うことを皆が理解するんじゃないか。と言う気がしています」


恐ろしい言葉を情報の海に投げ込んでしまったものだと思う。
彼の言葉には、ある意味カルト的な信奉者がいるし、この部分は切り取られてずっと影響を与え続けるだろう。本人も自分の言葉の影響力をしっかり解った上で、この言葉を出している。

既に海外居住の彼は、この言葉でどんなに日本が混乱しようが、影響を受けた何者かに苦しめられる人が出ようが責任をとったりしない。
この言葉も、実業家である彼の将棋の駒の一手なのだろうか。
彼は、嘘つきが増えた理由を経済の低迷に結び付けて結論しているけれど、

もっともっと貧しい時代から長年長年かけて、

盗んだら盗まれる。嘘つきは泥棒の始まり。損して得取れ。情けは人の為ならず。

日本国中驚くほど末端まで行き届いていた因果応報の教えに基づく言葉たち。

もちろん守らない者、守れない者は絶えず存在したとしてもだ。

どうして日本の法律が今にいたるまで「性善説」に基づくことができたのか?
嘘つきを減らす努力をしてきた世の中を「のうのうと」生きてこれた年代の人間が次世代に残す言葉が、

「嘘をついた方が得だ」だと?


本当に?今一度真剣に考えていただきたい。本エントリーから私が報(しら)せたい「情」は正にこれだ




影響力のある賢い人ほど、巨視的に社会を見て言葉を撰び、伝えていかなければ世界は綻びていく。過去の言葉もしっかり保存され、子供から老人まで取り出せてしまうネット社会において意図的にバラまかれる情報に踊らされてしまわないように、眼を耳を鍛えなければならない。

観音菩薩は、絶えず自分の物の見方を問うことを教えるための象徴。その見方とは、

「広大智恵観」(こうだいちえかん)

広く大きな視点で物事を見ていく、目の前の水の一滴の様な出来事に惑わされず、遠い未来、自分の業によって引き起こされる結果を考え抜く。





全ての人が事実を事実のように観測して、受け取ることは不可能であるけれど、絶えず反対意見を流してしまわずに、全体をしっかりと見抜いていく眼を養っていかなければならない。聞きたくない情報こそ今自分に必要な情報でもある。

多感な少年少女が「嘘をついた方が得だ」などと言う情報に、影響を受けませんように。

なにより大人が,今まで自分が作り上げたわけでもない安全な社会に育ててもらっていたことを自覚して、次の世代に責任を取る言葉を伝えていけますように。














2021年1月6日水曜日

面白きこともなき世を面白く

皆さま明けましておめでとうございます。

毎日変わらず太陽は昇り、毎日変わらず沈んで行くわけですが、これを初日の出と言い表す素晴らしさ。
初日の出、初詣、初風呂、みーんな初。
昨年の自分は居なくなって、新しい自分が生まれる。

「疑死再生」というテーマは日本の様々なところに込められていて、山登りも洞窟も年中行事も「この世で」一度死んで生まれ変わる事を目的に組み立てられた儀式だととらえる。

幼子が初めてソフトクリームを嘗め回すように、初めて滑り台を滑ったように、初めて自転車に乗れた日のように。
生まれ変わった気持ちで様々なものを味わい、経験してみる。

般若心経の諸法空相の教え。己のとらえ方によって全ては意味を持ち、全ては空となる。


大晦日の大雪は30センチ近く積もり、令和2年最後のお参りはハードでしたが、私が先頭で雪を踏みしめ、 一番後ろからついてくる妻を心配して振り返り、振り返り歩く息子。

どうしてわざわざ?雪が積もってるのに?意味があるの?
人生もそんなもんです。

苦しいのに何で生きる?これに何の意味がある?嫌なことばっかりなのに?




年が明けて1月1日。
コロナの影響でいつものおでんの接待や樽酒の提供は無し。

2年参りのお客もお断りしたので、毎年夜中に焚いている初護摩をお昼に焚きました。
初護摩のお参りの後に行者堂に登る話をすると、数人が参加を申し出てくださいました。

令和3年初の行者堂参拝。息子はコタツムリで不参加!…残念。




只の山に誰かが「お堂」という空間を作り、「お参り」という意味を付ける。
変わらぬ毎日に「初」がつけば、普段絶対に雪山なんか登らない人でも「登ろう!」という意欲を発揮する。

意味がないという人には意味がないことでしょう。



でも究極、生きていることさえ「意味をつけられない人」には意味が無くなってしまう。

先人たちは、苦しみ多きこの世を歩んで行くために「生きること」にも「死ぬこと」にも様々な意味を付けてきました。

山頂にたどり着くと、なんと3名の先客が!
私も含め8名で初のお勤め。息子に断られたので一人寂しく登るつもりだったのに。

ああ~ありがたいなあ


面白きこともなき世を 面白く すみなしものは心なりけり                    ー高杉晋作ー

面白きことの無い世の中を 面白くしていこう。心は無辺で限りなどない!


まだまだコロナで暗いニュースも多いでしょうが、新しい年に「疑死再生」生まれ変わった気持ちで、いろいろなことに初めての感動を感じてみてください。


本年の皆様が、どうか毎日を面白いものとできますように!




2020年12月29日火曜日

去る年に感謝を!来る年に根我意「ねがい」を!

毎日毎日山道を登り

毎日毎日願いを込めて

100年前の村人がしてくれたように。

親が子に 祖が子孫に 仏が衆生に祈るように。

暑さの中も 雨が降っても 雪が降っても。

(10月縁日のようす)

(11月の縁日のようす)

(12月の縁日の様子)



願掛けは続いていますが、とりあえず100日越えてからは、雑事に囚われたくなかったので、あえてブログの更新をしませんでした。
200日6か月以上登り続けて、毎日ねがいとは何ぞや?祈りとは何ぞや?と自問自答。

日々角度を変えていく太陽に、蒼から黄、紅へと移る木々の葉に、こんなに四季(死期)を色濃く感じられた一年を生きたことがあったろうか。




お大師さまは、
「衆生尽き、虚空尽き、涅槃尽きなば我が願いも尽きなん」
この世のありとあらゆる全てが救われるまで私の願いは無くならない。

と誓われ、高野山の奥の院において即身仏と成って、今なお「一切全てのために」願い続けておられます。



コロナ禍の中で、たくさんの苦しみが目に見える形に現れて、まさに四苦八苦の様相を呈しています。

生きること、老いること、病になること、死ぬこと。
愛別離苦(愛する者と別れ離れる苦しみ)
怨憎会苦(恨み出会いたくないものに会う苦しみ)
求不得苦(欲しいものが手に入らない苦しみ)
五蘊盛苦(体と心が思うようにならない苦しみ)


お釈迦さまはこの世は苦海と看破されましたが、苦しみを不幸とは定義されておりません。

苦しみを受け取ったからと言って、誰もが不幸になるわけではない。同じ苦しみに出会っても懸命に歩く人。倒れていく人。

苦しみを解きほぐし、お釈迦さまのように悟ることを解釈と言います。

解釈をせずに、ただ「苦しみ=不幸」という考えに囚われると、苦しみは洗い流されることなく泥のように絡みつき、足をもつらせ目をふさぎ、息も絶え絶えとなります。

自業に目をふさがず、自得を受け入れることは、血の噴き出るような痛みをともなうけれど、自分の根本原理を見抜いてこそ、初めて世界が拓けていくのです。

根を腐らせて枝も葉も栄えることはありません。しっかりとした「根」は幹を枝を葉を花を実を育んでいきます。我の意思の根こそ「ねがい」

大樹のように、寄り添ってくれる人々を日差しから雨から風から守るために枝を伸ばしていくためには、暗くかたい土の中を掘り進む「根」が必要なのです。




根である親に実として育まれた自分が、次は根となって実を育む。
結婚して無いとか子供に恵まれなかったという人も、悟りの心を持てば社会(法溶け)の根となっている。己がいなくなったとしても、仏(法溶け)の一部となっていく。
自利と利他(自分の利益と他人の利益)が混ざり合う社会を懸命に作りあげてきた日本の先人たちの「ねがい」を否定されるべきものか!

先人の遺してくれた行者堂を機会に、たくさんのことを考えさせられました。
続く思い。自分の後ろを歩いてくる全てのこと。

これより様々な苦しみが、さらに世界を混乱に落としていくでしょう。混乱の中で苦しみに負け不幸の汚泥に沈まず、皆様の心根が拡がることを願い続けております。



2020年8月13日木曜日

亡き人にお帰りなさい。お盆の夕べに

お盆です。

お盆の風習も、大事にしない人には只の長期休み。

今年はコロナコロナで、世界中大混乱。

長期休みのつもりの人も、まだまだ旅行も不安なことだし、一度真面目にお盆をやってみるのをお勧めします。

地域によって様々な違いがありますが、大体8月7日から始まる七日盆(なのかぼん)
14日の盆。24日の地蔵盆(じぞうぼん)の17日間がお盆の期間です。
この辺りでは、七日盆にその年亡くなった新仏さまをお迎えします。
近隣親戚は8月7日過ぎると初盆のお宅にお供えを持ってお参りします。

普通のご先祖様は13日もしくは14日にお迎えします。
家の角前やお墓で火を焚いて、その火を家で用意した盆棚(ぼんだな)のロウソクや提灯に移します。
亡くなった人が喜ぶように精いっぱいのお供えを並べて盆棚を飾ります。



24日は地蔵盆(じぞうぼん)親より先に亡くなった子供たちのためのお盆です。
新仏さんでなければ14日に迎えて15日に送ってしまう。

子を亡くした親は、たった一日で子を送り出す悲しみを味あわねばならぬ。

子を亡くした悲しみを少しでも癒すためお地蔵さまのはからいで、子供たちだけは24日までこの世の滞在を赦され、親は24日までの期間だけではあるけれど亡き子を身近に感じながらお世話をすることができる。

そして地蔵盆の夜、子供たちはお地蔵さまの袈裟の下に隠してもらって、あの世に帰ると言います。

ニュースなどで人の死のあふれかえる現代において、故人の扱いはどんどんと雑になり、ゴミも親の遺骨も同様に扱われてしまっています。

コロナの猛威で右往左往する人の心を見ていると、人類は大して進歩していない。なのに「死」の恐怖や悲しみを癒す方法を捨てすぎたんじゃないかと思います。

数々の儀式や風習は、亡くなった人と亡くした人の両方が救われるように考えられていることを知って欲しい。


盆棚まで整えてみてとは言いません。
一度自宅や実家で仏壇のロウソクを灯し、お線香を付けて「お帰りなさい」と呟いてみてください。

きっと亡き人を身近に感じることができると思います。
しばしのセンチメンタルに酔う時間があっても良いじゃないか。



観音寺もお盆の準備中。

今年のお盆は新型コロナウィルス対策のため、本堂内と玄関先に施餓鬼札を立てられるように工夫しました。
お堂の中に入るのをためらう方もおられると思いますので、玄関でしっかりとお勤めください。

また参拝の方はマスクの着用をお願いいたします。




2020年7月31日金曜日

庭を彩る。 サヨナラ八重桜

観光地のお寺も田舎のお寺も、都会のビル型の寺院でなければ大体庭があります。

神社は完全に自然のままと言うところもありますが、お寺の庭は大体誰かが植えてきた樹木です。寄贈を受けた木を植えていったり、ある年代の住職が100年後を見越して計画的に植えていったり。

私は住職になって間もない頃、祖母が80才の時に庭の掃除を受け継ぎました。
100才まで元気で突然逝った祖母だったので、80才のころは元気すぎるほどでした。

「おばあちゃんも80才になったので明日からあんたが庭掃除しなさい」

「ボケ防止に掃除くらいしてくれたら良いのに!」
と思っていましたが、祖母は「掃除は住職がするもんだ」との宣言どおり全く掃除をしてくれなくなりました。

今思えばこれで本当に良かった。
と言っても最初から本腰が入ったわけではありません。

だんだん庭が自分のものになっていきました。

母のガーデニング期

母がガーデニングに凝ったことがあり、お寺の庭なのにイングリッシュガーデンを目指して諦めました!みたいな庭になってしまったときも、

「自然が見たいなら山へ行けばいい。お寺の庭には秩序が無いとアカン。頼むからもう勝手に花を植えないでくれ」

母と何年かの攻防後に勝利して完全に私だけが世話をするようになりました。


勝利後

10年前に完全に元の面影が無くなり今の庭になりました。



砂紋を描き出したのもこのころ。

















ずっと変わらずに在る木は樹齢400年の八重桜だけでした

この八重桜も4年前ついに枯れてしまいました。
100年前の観音寺の写真に、大きく本堂の方に三本の大枝が伸びていましたが昭和39年に本堂の玄関を改修する際に枝を落とされました。

16年前の八重桜




桜は大変切断に弱く。「桜切るバカ、梅切らぬバカ」などと言われます。
当時は本堂を守る一心であったでしょうが、腐食処理などされないまま放置されて上からどんどん腐っていました。

私が住職になったころには既に弱っており、何度も総代さんを説得して樹医でもある小池栄緑園さんに診てもらいました。

樹医さんによる大手術(一回目)


村の桜は、ほとんどソメイヨシノか山桜なので、うちの八重桜は他の桜が散った後に見事な姿を見せてくれていました。

枯れた前の年に見事に花を咲かせサクランボがたくさんつきました。
思えば最後の種族保存のための力を振り絞ったのでしょうが、枯れると思っていなかった私は種を残すことをしませんでした。

7年前 何度かの大手術後一本だけ残った枝と天の川

枯れた後も天に伸びた枝が登り龍のようでした。



しかし、キノコに蝕まれて枯れたために、急速に枝が空洞化してしまい倒壊の危険が大きく道路に張り出した大枝を残すことも叶わなくなりました。



長年観音寺を飾り続けてくれていた八重桜もとうとう株だけになってしまいました。

切ってみてわかったことですが、キノコは大枝の芯の芯まで食い込んで枯れて4年でこんなに腐ってしまうのか?と驚くほどでした。

本当に長年観音寺と共に歩んでくれてありがとう。さようなら。







2020年7月16日木曜日

知らないものを見なおそう

婚活も村おこしも似たところがあります。
要するに誰かに自分や地域をアピールせにゃならん。

でも最近の若者は、自分に自信が無くてアピールするってことが難しい子が多いし、
歪んだ自己愛に沈んで傷つきたくない。

村の事でも特に最近の5~60代の人は、「ああ、この人は村の事が好きじゃないんだなあ。」と残念に思うことが多々あります。


せっかく自分に生まれたのに自分を好きじゃない。

自分の境遇を人と比べて貶めて、さらに他人を呪う。そんな人生もったいない。

同じように生まれつき又は結婚を期に。様々縁があって住人になって、出ていく選択もしないのに、住んでる地域を好きでないのは残念なことだと思います。

何度も書いてきましたが真言宗の根本に「如実知自心」(実の如く自らを知る)と言うのがあります。
知ってるつもりで知らないのが自分。
適正も限界も興味も嫌悪も。

嫌悪は、本当は好きなのに手に入らない心理の代償かもしれない。
物理的な肉体の限界は有っても、心の限界は本当は無いし、自分が思っている以上に柔軟なのに、自分で型にはめて固めてしまっているだけの事も多いのです。

まず自らに気付いて知って知って知っていく。
深く知っていくことで、心に変化が起こります。

自分は自分を本当に知っているか?
悲観(悲しみの眼)慈観(慈しみの眼)でもって自分を見定め、善きところ悪きところ含めて己であることを正確に見抜く。
自己愛じゃなく自己を正確に認識して認め赦すことが大事。


「見回したってこんなとこ、どこにでも(誰にでも)あるだろう?」
「アピールするほどの事じゃない」
「こんな風景(自分)日本中どこでもある(居る)やん」

卑下する心は、姿勢にも目にも言葉にも表れて驚くほど相手に伝わってしまいます。
でも自分の心がわからないのと同じで、相手がどう思ってくれるかは自分が決める事ではないのです。



この地域は本当にいいところです。
もったいないことに過疎化が進んでじわじわと人も変化しています。

大きな変化といえば3年前に染河内小学校が無くなってしまったこと。
神戸小学校と合併になり播磨一宮小学校になりました。
今子供たちは、毎日スクールバスで通うようになりました。
村の風景は車のスピードで流れて興味も記憶も生みません。

親たちも忙しいのと危ない所に行かせないのとが相まって川や山で子供たちが遊ぶ姿なんて全く見ることができません。
せっかくの自然に何一つ触れていない。

まいこん淵が埋まってしまったのだって知らない。




庭田神社のお祭りも学校行事じゃなくなって、鼓笛隊も子供神輿も無くなり奉納相撲は任意参加になりました。
やってるうちに好きになることも世の中にはたくさんあるけど、最初からやらない選択を選ぶと好きになることが難しい。

色々な行事は「好きじゃない人」には、どんどん只の重荷になっていってしまう。

むかしある先達さんに
「最近は親が子供の分まで荷物をずーっと背負って歩く。人生に大事なものがいっぱい詰まった荷物や。

弁当も水筒も地図も雨合羽も宝物まで入ってた。なのに今の親は子にそれを教えずに黙って荷物を持ち続ける。そして80才にもなって自分がいよいよ限界になるか死んでからドーンと息子や娘に荷物を渡す。

重いわな。

人生の山登るのに何が入ってるか判らん大荷物ほどしんどいものは無い。

だから中身も見ずに荷物を捨てる。
雨降ったり道に迷ったら自分で荷物捨てといて、いい歳した大人が雨が降ったー道に迷ったーって大騒ぎや。

荷物は少な目からきちんと子供に背負わせて、必要に応じて増やしていく。そんでちゃんと中身の取り出し方を教えなあかん。ちゃんと飲んだり食べてたら荷物はどんどん減って軽くなるもんや。思いを重いにしちゃいかん」
と教えてもらいました。

色んな行事も人生も知らないままで済まさず消化して、身に着けていかないと宝の持ち腐れということです。



己(個)の集合体である社会は、己が変わることで変えられる可能性を持つ。
己のことが嫌いなら周囲もあなたのことを嫌いになるし、己が好きなら好きになってもらえる可能性は上がる。

せっかく住んでる地域を見直そう。
せっかくの自分を好きになろう。
良いところは本当にたくさんある。